多くの主演作をもち、
好きな女優として名前が上がることも多いカーメインシェー(佘詩曼)さん。
成功の道をひたすら歩み続けてきたかのように見えますが、
彼女の生い立ちや芸能界に入った当初の様子を知ると、
たくさん辛いことを経験しているようです。
今回はそんなカーメインシェーさんのwikiプロフィール、
また生い立ちについて紹介します。
カーメインシェー(佘詩曼)のwikiプロフィール&経歴
まずカーメインシェーさんの基本的な経歴&wikiプロフィールを紹介します。
カーメインシェー(佘詩曼)のwikiプロフィール
- 名前:カーメイン・シェー(佘詩曼)
- 誕生日:1975年5月28日
- 出身:香港
- 身長:165cm
- 血液型:O型
- 職業:女優
- 学歴:スイス国際ホテル管理大学
- 事務所:佘詩曼工作室
カーメインシェーさんは1975年に香港で生まれ、
スイスの国際ホテル管理大学を卒業しています。
彼女自身は卒業後、ホテル管理の仕事をしたいと思っていたようですが、
母親の勧めでミス香港に出場して3位となり芸能界デビューを果たします。
wikiプロフィールを調べると、
主演・出演した作品でたくさんの賞を受賞していることがわかります。
例えば、2000年から2010年にかけて、
TVBアニバーサリーアワードにて、
最も好きな女優に贈られる賞を合計で6回も受賞しています。
カーメインシェー(佘詩曼)の経歴
2011年には「公主嫁到」で、
アジアテレビ大賞にて第16回最優秀主演女優賞を受賞しました。
「公主嫁到」はその年、香港の視聴率1位となっていました。
さらに、MY AOD最も好きなTVBドラマ受賞セレモニーで、
最も好きな主演女優賞と最も好きなテレビ女優トップテン賞を受賞しました。
最近では、2014年の「使徒行者」で、
またTVBアニバーサリーアワードの最も好きな女優に贈られる賞と
最優秀主演女優賞を受賞しています。
輝かしい経歴です。
このように、今では女優として
たくさんの人から評価されているカーメインシェーさんですが、
苦労も多かったようです。
芸能界に入る前、彼女は芸能界とは全く無縁の生活を送っていました。
それにもかかわらず、デビュー後すぐに主演に任命されます。
彼女は演技のイロハも分からないまま出演します。
当然その作品を見た人からは、
「ひよこの声」だと言われひどい評価を受けたようです。
しかし彼女は諦めず演技の勉強を続け、
2000年の「十月初五的月光」で注目を浴びて、
今の確固たるトップ女優の地位を得ることになります。
カーメインシェーのwikiプロフィール&経歴を簡単に振り返りました。
カーメイン・シェー(佘詩曼)の生い立ちは壮絶で母子家庭だった?
カーメインシェーさんについて語る際、生い立ちは避けて通れません。
カーメインシェーさんは母親との仲がとてもいいことで知られていますが、
それもそのはず、カーメインシェーは母子家庭で育ちました。
さっそく彼女の生い立ちを見ていきましょう。
父の死で母子家庭に
カーメインシェーさんは1975年、貿易商の家に生まれました。
週末には海へ遊びに行くなど、幸せな子供時代を過ごしていました。
彼女が5歳の時、状況は一変します。
家族の大黒柱である父親が、突然交通事故で亡くなり、
母子家庭となりました。
その後父親の保険金が入るまでは、
金銭的に苦しい生活をしなければならなかったようです。
幼少期のエピソード(1)
カーメインシェーさんもその時のことについて、
今でも覚えていることがあるようです。
ある時、カーメインシェーさんと兄弟は、
映画を見に行きたいと母親に言ったことがあるようです。
でもその時、金銭的に余裕が無かったようです。
母親は、子供たちの願いを聞いてあげられないことに申し訳なさを感じて、
表情を曇らせたそうです。
それを見たカーメインシェーさんは、
無料で遊べる公園に遊びに行こうとみんなに提案したということです。
母親に悲しい思いをさせたくなくて、表情だけで気持ちを察し、
代わりのアイデアを出しました。
このエピソードから、カーメインシェーさんが母親思いで、
優しい子であったことはもちろん、
とても賢い子であったこともわかります。
幼少期のエピソード(2)
母親思いの子であったことについて、もう一つエピソードがあります。
5歳のカーメインシェーさんは、父親が亡くなった時、
死ぬことの意味が分かっていませんでした。
ただ、父親はもう帰ってこないんだと察しはしたようです。
そしてその後、母親がずっと泣き続けているのを見て不思議に思い、
こう聞いたようです。
「是不是怕沒有人陪你睡覺啊?」
她還貼心地安慰媽媽
「你不用怕、不用哭,我從今天就陪你睡覺」。
https://kknews.cc/entertainment/mo634v2.html引用
日本語に訳すと、
「一緒に眠る人がいなくて怖いの?」
そして、カーメインシェーは母親を安心させようと、
「怖がらなくていいよ、泣かないで。今日から私が一緒に寝るよ」と言いました。
実際カーメインシェーさんはスイスの学校へ行くまでずっと、
母親の隣で一緒に寝ていたようです。
母子家庭で育った彼女の生い立ちからは、
カーメインシェーさんが優しく、思いやり深く、
さらに賢い子供だったことがよくわかります。
カーメイン・シェー(佘詩曼)の家族構成は?
カーメインシェーの家族構成
カーメインシェーさんの家族構成ですが、
5歳の時に亡くなった父親、母親の他に、兄が1人、弟が1人いるようです。
弟は、父親が交通事故で亡くなった時にちょうど母親のお腹の中にいたようです。
カーメインシェーさん自身は結婚していませんので、
彼女自身の家族はおらず独身です。
父親が亡くなってから、母親は1人で3人の子供を育てました。
家族の頭が亡くなってからも、母親は弱音を吐いたりせず、
ポジティブな考え方を貫き、自分の責任をちゃんと果たすことなど、
母親の生き方は今のカーメインシェーに大きな影響を与えているようです。
カーメインシェーの母が2005年に危篤状態に?
2005年、そんなカーメインシェーさんにとって人生で最も苦しいことがありました。
北京の授賞式に出席していたカーメインシェーさんに、
レッドカーペットの上を歩き終えた後、一本の電話がかかってきます。
アメリカにいる母親が肺の緊急手術を受けており、
心臓と呼吸が20秒止まったという知らせでした。
医者は彼女に心の準備をするように言います。
もしかすると母親は二度と目を覚まさないかもしれず、
もし目を覚ましても記憶喪失になっている可能性があるということでした。
カーメインシェーさんは聞いたことが信じられず、
混乱して泣きそうになります。
すぐにでもアメリカに行き、母に会いたいと思いますが、
それができる状況ではありません。
この時カーメインシェーさんは、自分が芸能人であることを憎く思ったそうです。
その時のことをこう言っています。
「當時在台上很想哭,但是我不停的告訴自已,忍住、不能哭,不可以把傷心的情緒帶給觀衆。那一刻我真的很討厭當明星,因為我永遠都要把自己真實的情緒藏在心裏。」
https://today.line.me/hk/v2/article/KW7BQr 引用
日本語に訳すと、
「舞台の上で泣いてしまいたかった。
でも、耐えなさい、泣いてはいけない、つらさをみんなに見せてはいけないと、舞台の上でずっと自分に言い聞かせていました。
その時、スターであることを本当に憎く思いました。
スターは本当の気持ちを出すことを許されていないんです。」
それから彼女は、どんなに忙しくても毎月必ず時間を割いて、
母に会いに行くようにしているそうです。
まとめ
5歳の時に母子家庭となったカーメインシェーさんですが、
弱さを見せることなく、賢く優しく強くあり続けている姿が
多くの人の心を掴み続けているのかもしれません。
その強さは、1人で3人の子供を育て上げた母親の背中を見てきた
カーメインシェーさんだからこそ示せるのかもしれませんね。