台湾俳優ディランクォさんのプロフィールや
壮絶と言われている生い立ちについてみていきましょう。
学生時代はいじめにも遭っていたようです。
ディランクォのwikiプロフィール&経歴
台湾俳優であるディランクォさんの
wikiプロフィールと経歴を紹介したいと思います。
ディラン・クォのwikiプロフィール
ディランクォさんのプロフィールを見ていくと、
最初はモデルさんをされていて、
それから俳優さんになった方であることがわかります。
- 名前:ディラン・クォ(郭品超)
- 英語名:Dylan Kuo
- 国籍:中国
- 民族:漢族
- 出生地:台北市
- 誕生日:1977年6月8日
- 星座:双子座
- 血液型:O型
- 身長:188 cm
ディランクォさんは1977年6月8日、台湾の台北で生まれました。
1996年、19歳の時モデルとしての活動を始めたようです。
そして2000年7月、テレビドラマの撮影に初めて参加したようです。
その作品名は「明星★学園」でした。
ディラン・クォの芸能経歴
2004年に放映されたドラマ「アウトサイダー闘魚」で
ディランクォさんは主演を務め、人気を獲得しました。
2016年には、ジャッキー・チェンさん主演の
映画「スキップ・トレース」が上映されましたが、
ディランクォさんもこの映画に出演しました。
2017年に放映されたドラマ「懒人美食日记」では主演俳優を務めました。
2018年にも、ディランクォさんが主演を務めたドラマ「北国英雄」が放映されています。
同じく2018年に放映された「君は僕の談判官」にも出演していました。
このドラマでディランクォさんは主要な登場人物役を務めています。
2019年に放映されたドラマ「将夜」や、
2020年に放映されたドラマ「三生三世枕上書」にも出演しています。
プライベートでは、2021年9月6日、
ディランクォさんは女優マー・ザーハンさんとの交際をSNSにて公に発表しました。
ディランクォの生い立ちが壮絶!幼少期は貧乏だった?
台湾俳優ディランクォさんの生い立ちや
幼少期のことなどについてみていきましょう。
幼少期、貧乏だったというのは本当でしょうか。
ディランクォさんにはお兄さんが1人いて、4人家族だったようです。
そしてディランクォさんの幼少期、
家の中には何もなく、とても古い家に住んでいたそうです。
どれくらい貧乏だったのかについて詳しく状況が書かれている記事もありました。
その記事には、例えば机もなかったので、
ご飯を食べる時にはお皿を床に置いてごはんをたべていたとか、
家具はほとんどが廃品からの拾い物だったと書かれていました。
ディランクォさんは貧乏だった幼少期のことについて、
このように語っていたことがあるようです。
幼い頃に両親が別れていて、その後、7歳ごろの時は母と兄と一緒に生活していました。その頃、僕は先天性の心臓病に悩まされていました。
よく発作を起こしていました。その頃は考えてもいませんでしたが、今でもよく母とのことや幼い頃の楽しくなかった日々を思い出します。
旧正月のときにも子供たちと一緒に遊べませんでしたし、特別なキャンディや、いつもと違うものや新しい服もありませんでした。
郭品超:因為我從小父母就是分開的,然後大概是在7歲是跟媽媽還有哥哥一起住,那個時候我罹患患有先天性的心臟病,經常會發作 那個時候不知道 現在還經常會想到和媽媽 還想到小時候不愉快的日子 過年也沒辦法和小朋友們玩 也沒有特別的糖果不一樣的東西 新衣服
https://amychun1010.pixnet.net/blog/post/19959652
中華圏の人にとって1年のうちで非常に大切な旧正月にも何もなかったようですね。
また、ディランクォさんのご両親は、
ディランクォさんの幼少期に別居し始めていたようです。
ある記事の中では、両親が別居するまで
ディランクォさんたちは家族でよく遊びに行っており、
その頃がディランクォさんの一番幸せな時期だったと書かれていました。
そしてディランクォさんが14歳の時、
お母さんが胸腺癌で亡くなってしまい、
このことはディランクォさんに非常に大きなショックをもたらしたということです。
お母さんが亡くなったあとは、再びお父さんと暮らすようになったそうです。
ディランクォは学生時代にいじめ受けてた?
幼少期に片親家庭、母親の死などを経験したディランクォさんですが、
学生時代にはいじめを受けていたこともあるそうです。
幼い頃のディランクォさんは無口な子供さんだったそうです。
外でほとんど話さなかったというだけではなく、
家の中でもあまり話さない子供さんだったそうです。
こういった性格になったのには、
先ほど述べたような貧しい境遇などが関係しているかもしれません。
そして、あまり話さない無口な性格が災いして、
ディランクォさんは、いじめられる対象になってしまったのかもしれませんね。
ディランクォさんが通っていた中学校も、
いわゆる不良がたくさんいるような学校だったようです。
ディランクォさんはそういった不良の仲間には入っていなかったそうですが、
身長が180センチほどもあったディランクォさんは、
同級生の中でも目立っていたようです。
あまり話さず、1人で行動することが多かったディランクォさんは、
その不良たちから目をつけられてしまったようです。
脅されて下校前に逃げて帰る
“ヤクザのような人が、ディランクォさんを放課後に取り囲んで殺害するようにと命じた”
ということを同級生から聞いたディランクォさんはびっくりして、
放課後になる前に自転車を借りて急いで家に帰った、ということもあったそうです。
ディランクォさんは先生に訴えたこともあるそうですが、
先生からは、“放課後に起こることに関しては知らない”と言われたようです。
ディランクォさんは、学生たちの素行にかなり問題のある学校に通っていたようですね。
環境や学校、性格などが関係して、
ディランクォさんはいじめの対象になってしまったのかもしれませんね。
まとめ
ディランクォさんは家族のことでも、学校でも、
幼い頃からとても複雑で難しい環境で過ごしていたようですね。