中国俳優・フーゴーさんは
事故で顔に大怪我を負っていました。
どのように復活を果たしたのでしょうか。
では、
『フーゴーの事故前の顔と現在の比較画像』
『顔面崩壊から奇跡的に復活!』
について、どうぞご覧ください。
フーゴーの事故はいつ?何があった?
フーゴーの事故はいつ?
今も俳優として第一線で活躍しているフーゴーさんですが、
過去に大きな怪我を経験しています。
怪我の原因は交通事故でした。
その交通事故は、
フーゴーさんがドラマ「仙劍奇俠伝」で
知名度と人気を得た翌年、2006年8月に起こりました。
事故の原因は?
事故の原因は、その時
フーゴーさんの車を運転していた人が
疲れていたことにあったようです。
この運転していた人は、
フーゴーさんのことを献身的に支えていた人でした。
事故後の運転手はどうなった?
この方は事故後、
刑務所に収監されることになったのですが、
刑期を終えて出てきた後、
フーゴーさんのそばでフーゴーさんを引き続き支えているそうです。
フーゴーさんはその件をこう説明しているようです。
世界中の人が彼を責めていて、もし僕まで彼を責めてしまったら、彼は本当におしまいじゃないか。
全世界都在怪他,如果我再責怪他,那麼他就真的完了。
https://chinahot.org/entertainment/282781/
事故の状況
事故の状況についても見ていきましょう。
当時、フーゴーさんたちは、
ドラマ「射鵰英雄伝」の撮影を終えて、上海に帰る途中でした。
一緒にいたのはフーゴーさんとマネージャー、
事故当時運転していた人の3人でした。
上海までの道ですが、
前半はフーゴーさんが運転し、
後半は事故を起こした人が運転していたということです。
高速道路を100キロから110キロで走行しており、
トラックの後ろを走っていたそうです。
長距離運転に疲れていて、
その前を走っていたトラックにぶつかってしまったということです。
運転手さんは軽症だったそうですが、
一緒に乗っていたフーゴーさんは大怪我、
そしてマネージャーさんは亡くなってしまいました。
フーゴーさんは右目と首を100針縫って一命を取り留めたそうです。
この事故に関しては奇妙な点がいくつかあるようです。
一つ目は、フーゴーさんが事故後に
110番(日本の110番と同じ)と112(日本でいう119番の救急)に電話したそうなのですが、
フーゴーさんには全くその記憶がないことです。
もう一つは、事故当時運転手さんは眠っておらず、
目が覚めていた状態なのに、
ぶつかったと言われるトラックが見つからなかったということです。
フーゴーの事故前の顔と現在を比較!どこ変わった?
左側が事故前、右側は事故後の画像です。
あまり変化ないように見えますが、
実は、右目が変わりました。
フーゴーの右目は10回も手術
フーゴーさんは事故で右目や首を100針を縫う怪我を負っています。
頭部に大怪我を負っているため、
一命はは取り留めたものの、
俳優として一番大切な顔に傷がついてしまいました。
顔についた傷を消し、元通りにするため、
フーゴーさんは10回くらい手術を受けているようです。
度重なる手術を経て、
現在のように俳優として再び仕事ができるほどに回復しましたが、
それでもやはり完全に傷を取り去ることができたわけではなかったようです。
特に怪我の程度が酷かった右目の部分は、
皮膚も薄かったりして、
今も事故による傷跡が残っています。
傷跡だけではなく、右目の上の皮膚にも不自然さが見られます。
眉の描き方が若干不自然ですし、
右目と左目の大きさに違いが見られます。
復帰直後は傷を隠してた
何度も手術を重ね、
現在もフーゴーさんの凛々しくかっこいい顔は健在です。
ただ傷跡は残ってしまっているため、復帰当初、
事務所は傷を気にして、前髪を使って
傷を隠せるようなセットの仕方ばかりしていたそうです。
でもそのようにわざと傷を隠すのは、
フーゴーさんにとって違和感があったようです。
役者は美しさが無くなったとしても、
内側からその役を十分に表現することでその役を全うできる
と考えていたからだそうです。
そういう考えからでしょう。
ドラマ「琅琊榜」でフーゴーさん演じる「梅長蘇」は
傷を隠すようなことはしていません。
この写真を見ると確かにフーゴーさん扮する「梅長蘇」の前髪が全てあげられています。
フーゴーさんが自らの傷を理解し、受け止め、一緒に歩んでいることが伝わってきます。
フーゴーは顔面崩壊の危機から奇跡的に復活!
フーゴーさんは度重なる手術を経て、
現在俳優として仕事ができるほどの奇跡的な復活をしています。
顔面崩壊からの復活もそうですが、
メンタル面で復活するまでにも相当な勇気と努力が必要だったことでしょう。
事故による顔面崩壊からどのように復活したのでしょうか。
耳の皮膚を目に移植
度重なる手術を経てということなのですが、
特に右目の傷が大変だったようです。
顔の手術を専門にしている医者の話によると、
耳の後ろの皮膚を右目の傷跡に移植しているということです。
耳の後ろの皮膚が最も目の皮膚の組織に近いからだそうです。
ですが、耳の後ろの皮膚は目の皮膚ほど薄くないため、
自然に見せるためには、後々さらに手術をする必要があるということです。
それで、右目の上に今も少々の傷跡が残っているようですが、
それでもカッコいいフーゴーさんの姿を今も見ることができます。
事故のことをどう思ってる?
傷跡が残ってしまい、フーゴーさんはどう感じているのでしょうか。
事故当時はどうしてこんなことが自分の身に起きたのか
とショックが拭えなかったようですが、
事故から10年後、フーゴーさんは事故についてこう話しています。
これが、僕だけの持つ特色なんだ。…
これが自分なんだよ、これが僕の特徴、僕にしかないものなんだ。こういう僕のことを好きになってくれたらその人は僕のファンだし、これが原因で嫌いになるならそれまでだよ。這是只有自己才具有的特色。…
這就是我啊,這就是我的特點、獨有的,你喜歡就喜歡,不喜歡就再見。https://star.ettoday.net/news/650489
今も傷跡は残っていますが、
その傷跡も含めて、フーゴーさんは
事故のことを全面的に受け入れて前に進んでいるようです。
事故で失ったものも全て含め、
その経験や傷や痛み全て今の自分なんだと言える、
その前向きな姿に励まされる人は多いと思います。
その励ましも、フーゴーさんにしかできないことですね。
事故でフーゴーのメンタルも大打撃
マネージャーの死が1番つらかった
フーゴーさんはメンタル面で復活を遂げるのに大変だったそうです。
なぜなら、顔面崩壊によるメンタルへのショックより、
親しい人を亡くしたことによるメンタルへの衝撃の方がが強かったようです。
事故で亡くなったマネージャーさんは、
フーゴーさんにとって、
かけがえのない理解者で支えだったようです。
事故後、意識を取り戻したフーゴーさんがまず聞いたのは
「他の人は大丈夫?」ということだったようです。
会社の人はフーゴーさんにさらにショックを与えたくなかったため、
事故直後はマネージャーの死を隠していたようです。
フーゴーさんの怪我が少しずつよくなってきた頃、
マネージャーの死を知らされたそうなのですが、
事故にあった時も、自分の顔が半分崩壊してしまっているのを知った時も泣かなかったフーゴーさんが、その時初めて涙を流したそうです。
友人2人が献身的にフーゴーを支えた
そんなフーゴーさんを支えた2人を紹介しましょう。
1人は当時交際関係にあったシュエ・ジアイー(薛佳凝)さんです。
シュエ・ジアイーさんは1年間仕事を後にして、
フーゴーさんを支えたようです。
しかし、破局してしまいました。
もう1人はフーゴーさんの友人、俳優のユエンホン(袁弘)さんです。
2人は大学の同級生で、卒業後は同じ事務所に所属し、
さらによく共演もしています。
ユエンホンさんも、1年間仕事を後回しにして
昼も夜もフーゴーさんのそばで支えていたということです。
ドラマ「射鵰英雄伝」もフーゴーの復帰を待った
実は事故当時、フーゴーさんとユエンホンさんは共演しており、
ドラマ「射鵰英雄伝(シリーズ3)」の撮影期間中でした。
フーゴーさんの事故を受け、
「射鵰英雄伝3」の撮影班はフーゴーさんの復帰まで1年間、
ドラマの撮影を待つことにしたようです。
復帰を待ってくれている人たちがいるというのは、
フーゴーさんにとって復帰しようという思いを強める力となったことでしょう。
顔面崩壊、また、数々のショックや困難を乗り越えて復活した背景には、
医者や友人や仕事関係の多くの人の支えや協力、
そしてフーゴーさんの強い意思があったのでしょう。
まとめ
フーゴーさんの事故の記録からも、
フーゴーさんの情の深さや俳優としてのプロ意識が見えてきますね。