『甄嬛伝』の果郡王役で有名な
リートンシュエ(李東学)さんのwikiプロフィールを
紹介していきたいと思います。
彼の生い立ち、父親の職業や
父親との関係、芸能界に入るまでの経歴や代表作などに迫ります。
リートンシュエ(李東学)のwikiプロフィール
リートンシュエさんのwikiプロフィールを通して、
どんな作品に出演している人なのか見ていきましょう。
リートンシュエさんのwikiプロフィールを見ていくと、
2012年ごろに知名度が上がった役者さんだとわかります。
リートンシュエのwikiプロフィール
- 名前:李東学(リー・トンシュエ)
- 英語名:Ethan
- 国籍:中国
- 民族:漢族
- 出生地:河南省郑州市
- 誕生日:1982年11月27日
- 星座:射手座
- 血液型:O型
- 身長:183cm
- 体重:75 kg
彼の父親は、
リートンシュエさんに軍人になってほしい
と思って教育していたようです。
でも、あるきっかけで
北京電影學院の入学試験を受けたら見事合格し、
芸能界への道を目指すようになります。
リートンシュエの経歴
リートンシュエさんが芸能界にデビューしたのは、
2007年に歴史ドラマ「大秦直道」の撮影に参加した時になります。
彼が多くの人に知られるようになったのは、
2012年放映のドラマ「甄嬛伝」に
果郡王役で出演したのがきっかけでしょう。
「甄嬛伝」での演技は高く評価され、
第4回國劇アワード最優秀新人賞を受賞しました。
この作品はリートンシュエさんの出世作といって間違いありませんし、
今でもリートンシュエさんの1番の代表作と言えます。
以前にも多くの作品に出演していましたが、
脇役が多かったようです。
しかし、「甄嬛傳」に出演した頃から、
リートンシュエさんは主演や重要な役を演じることが多くなっているようです。
リートンシュエのその他の代表作
簡単にリートンシュエのwikiプロフィールを紹介してきましたが、
最後に彼の代表作についてもう少し紹介しましょう。
2012年公開の映画「許海峰的槍」もリートンシュエの代表作と言えます。
この作品で、第14回映画表演藝術學會金鳳凰賞にて新人賞を、
さらに2014年イギリスアテナ芸術賞にて最優秀俳優賞を獲得しました。
また、2015年には第2回中国オーストラリア国際映画祭にて
最優秀新人賞を獲得しています。
2014年公開の映画「繡春刀」、
2015年放映のドラマ「抓住彩虹的男人」、
2019年公開の映画「中國推銷員」、
もリートンシュエさんの代表作として名前が挙げられています。
リートンシュエさんが出演した作品は映画もドラマもとても多いですが、
彼の役者人生の大きな節目となった作品は「甄嬛伝」以外にはないでしょう。
リートンシュエ(李東学)の生い立ち
2011年のドラマ「甄嬛伝」の果郡王・允禮役で知名度を上げた、
リートンシュエさんの生い立ちを紹介しましょう。
リートンシュエさんの生い立ちの紹介と、
彼が役者になるに至ったきっかけ
についても見ていきたいと思います。
リートンシュエの生い立ち
リートンシュエさんは1982年11月に河南鄭州で生まれました。
リートンシュエさんのお父さんは軍人で、
その軍生活の影響は子育てにも及んでいました。
親は普通、子供の興味ある分野を伸ばしてあげたいと考えるものです。
でもリートンシュエさんのお父さんはそういったことはせず、
子供を将来軍人にするための教育をしていたようです。
その後、息子リートンシュエさんが思春期に入り、
いろいろな新しいことに興味を示す年代になっても、
父親は変わらず軍人式の教育方法で息子を訓練していました。
リートンシュエさんは、父親の教育方針のせいで、
遊ばせてもらえないし、友達も作らせてもらえないし、
勉強と訓練以外の活動には全く参加させてもらえないしで、
段々と父親に対する恨みがつのっていったようです。
2002年にリートンシュエさんは北京に行くことになり、
家族と離れての生活が始まったようです。
ただ、北京に行ったのも父親の軍人教育の一環でした。
リートンシュエのお父さんは、
息子に留学させて、
欧米の軍事教育を受けられるようにしたかったようです。
それで、英語を習得するため北京へ行くことになったようです。
理由はなんであれ、
軍人教育一色だったリートンシュエさんの一生は、
北京で大きく変わることになりました。
リートンシュエが俳優を目指したきっかけ
2003年のある日、
IELTS受験に向けて勉強していたリートンシュエさんが寮に戻ると、
寮の友人が何かの話題で盛り上がっていました。
それでリートンシュエさんも気になって、
なんの話で盛り上がっているのか聞くと、
北京電影(映画)學院で学生を募集しており、
申請書を一枚手に入れたという話でした。
その話を聞いても、
リートンシュエさんは特に何も思わなかったようですが、
その時、寮友達の一人が冗談で言った言葉に、とても心を揺さぶられたそうです。
リートンシュエは芸能人になるのにすごく向いてると思うな。身長も高いしかっこいいし、何よりも爽やかで気持ちがいいからね。
「我看李東學挺適合當明星,個頭又高,人又長得帥,主要是氣質好。」
http://roll.sohu.com/20120605/n344757799.shtml
幼い頃から今まで、
父親の言う通りにしてきたリートンシュエさんは、
初めて、自分の意思で、自分のやりたいことのために行動します。
リートンシュエさんは何度も考えた結果、
父親には何も言わずに北京電影學院を受験することにします。
受験当日、合格するのは30人しかいないのに、
受験会場には2000人を超える人が集まっていたようです。
芸能関係とは全く縁のない生活を送ってきて、
芸能面でのトレーニングも何も受けていないリートンシュエさんが、
2000人の受験生を見ても逃げ出したりしなかったのは、
幼い頃から受けてきた精神面での訓練のおかげなのかもしれません。
リートンシュエの受験秘話
試験官の前でも、
頭を上げ、胸を張り、とても堂々と、
気持ちを込めて詩を朗読したようです。
もしリートンシュエさんが、試験官に、
演じることに関しては全くの素人だと言わなければ、
朗読のプロだと思ってしまうほどの朗読だったようです。
1回目の試験また二次試験と、
1ヶ月あまりにわたる試験期間を経て、
リートンシュエさんは22番目の成績で北京電影學院に合格します。
父親が俳優を目指したリートンシュエを激怒
リートンシュエさんは北京電影學院に進むことを両親に伝えるため、
故郷の河南鄭州に戻ります。
父親はものすごく怒ってこう言ったそうです。
芸能界に入るよりバカなことがあるか!どうしても芸能界に入るのか。芸能界なんて、悪い影響ばかり与えて、騙し合いばかりしてるところじゃないか。風格ある軍人とは全く比べ物にもならない。
「幹什麼不好,非要當明星,娛樂圈就是個大染缸,紛繁複雜,爾虞我詐,跟軍人的容貌和氣度完全沒得比。」
http://roll.sohu.com/20120605/n344757799.shtml
リートンシュエは父親が偏った見方をしていることを知り、
こう答えます。
お父さんはまるで氷山みたいだ。軍人に関することだけは受け入れられるけど、他のことは何も受け入れないんだね。これは僕が選んだ道だから、自分で進んでいきます。
「爸,您就像一座冰山,除了軍人的熱情能融化您,其他的什麼也融化不了您的心。這是我自己選擇的路,我會對自己負責的。」
http://roll.sohu.com/20120605/n344757799.shtml
リートンシュエの学校生活は大変だった
北京電影學院に進学したリートンシュエさんは、
学生の中で一番年上だった上、学生で唯一、
芸能関係のトレーニングなど全く受けたことがない素人だったので、
クラスメートからは物珍しげな目で見られ、辛い学生生活を送ったようです。
辛い学生生活を送っていた中、
リートンシュエさんは父親が施してくれたそれまでの教育に感謝したようです。
幼い時から父がなぜあんなに厳しく僕を育てたのか今分かったよ。父は僕を愛していなかったんじゃなくて、男らしい強い男になって欲しかったんだ。そんな父を僕は悲しませたくない。自分で自分の道を選んだからには絶対に最後までやり遂げよう。
「我終於明白了爸爸為什麼從小就對我那麼嚴格了,他不是不愛我,而是希望我像男子漢一樣堅強。我不能讓他失望,既然是我自己選擇的路,我一定要好好的走下去。」
http://roll.sohu.com/20120605/n344757799.shtm
リートンシュエさんは努力を重ね、
クラスで何か発表する機会がある時には必ず主役を任されるまでになります。
大学2年生が転機
大学2年生だった2004年には、
広告関係の人たちから、その良さを認められて、
毎年30以上の広告に出演するようになります。
時には第一線で活躍する女優と広告を取る機会もあり、
そういった広告に出演することで頭角を表していきました。
もちろん父の期待を裏切ったからには
頑張らないといけないという思いもあったでしょうが、
全く新しい世界に一人で飛び込んで、
諦めずに物事を成し遂げていけたのはすごいですよね。
でも、それだけではなく、
幼い頃から精神的な強さについても訓練されてきたからというのがあるように思います。
リートンシュエ(李東学)の父親はパイロット?
リートンシュエの父親はパイロット?
リートンシュエ(李東学)の父親はパイロットなのでしょうか?
リートンシュエの父親は軍人だと上の記事で紹介しましたが、
パイロットと紹介しても差し支えはないでしょう。
リートンシュエの父親は、空軍に所属するパイロットだからです。
空軍でパイロットとして活躍しており、
軍人として10年以上に渡り訓練を受けていたため、
リートンシュエさんに対する教育の仕方にもかなり大きな影響を与えたようです。
リートンシュエの父親の教育方針
父親の軍隊式の教育の仕方は、
リートンシュエさんが一人で歩くことを覚えたぐらいの時には、
もう始まっていたようです。
例えば、リートンシュエさんが歩けるようになってきたら軍人の立ち姿を教え、
また、まだ幼いリートンシュエさんが歩く時にフラフラしていたら、
毎日10分軍人の姿勢をさせたりしていたようです。
父親は、リートンシュエさんが小さい頃から、
国家、また社会に貢献するような人、
特に軍人を目指すように教育していったようです。
このような教育を小さい頃から受けていたリートンシュエさんは、
人一倍責任感のある人に育ったようです。
リートンシュエさんが北京電影學院に入学した際、
表演系の主任が学生に向けてこんな話をしたようです。
中国の映画界は君たちの肩にかかってる。君たちは中国映画界に対し、できることをし、自分の責任を担わないといけない。
「中國電影在你們的肩上,你們要有一份擔當,有一份責任。」
https://twgreatdaily.com/KQ0rs3ABgx9BqZZI-frQ.html
この言葉に、リートンシュエさんは
他の学生とは一味違った使命感を感じたようです。
父親とは違う道を歩むことになりましたが、
父親が教育した精神は息子の中に引き続き受け継がれているようですね。
まとめ
かなり独特な教育方針のもとで育てられたリートンシュエさんですが、
その分、ぶつかり合いお互い理解しあえた後に築いた絆の硬さは、普通以上のものがありそうですね。